萩原和幸の旅スナップ ~ Trip-Snap
第14回 昭和な街・小諸を行く2
TOPIX
今回の「 萩原和幸の旅スナップ~ Trip-Snap 」は、前回に引き続き、長野は小諸から旅スナップをお届けします。萩原氏が今回の旅のお供に選んだレンズは、フルサイズ対応標準ズーム「 AT-X 24-70 F2.8 PRO FX 」と広角ズーム「 AT-X 14-20 F2 PRO DX 」。タイムスリップした街並みに思わずレンズを向けたくなる萩原氏。それではお楽しみください。 by 編集部 |
今回の「 萩原和幸の旅スナップ 」は、前回に引き続き信州・長野。
前回は坂のある城下町で知られる小諸を散策。上田に宿を取り、夜が明けた2日目は松代に向かうことにした。
松代は松代藩十万石の城下町。現在放映中の大河ドラマ『 真田丸 』の主人公・真田信繁の兄で、上田藩から入封した松代藩藩主・真田信之公により、おおいに賑わったそうだ。
ずいぶん昔…小学生頃に、来たことがありそうだが、はっきりと覚えているわけもなく。
私の中では、松代と言えば佐久間象山!幕末大好き人間ですからねえ(笑)
ということで、今回の訪問が、松代への新たな印象になったのである。
手段はもちろん、いつも通りの高速バスで。午前 7:40、池袋発の西武バスにて上田駅に向かう。そこから、しなの鉄道に乗り換えて小諸を目指す。夜行でないとはいえ高速バスセット( 枕・腰当て・スリッパ・アイマスク・耳栓 )は当然。現地まで3時間半のバス旅ですから、きちっと体力は温存しますよ。
さて、今回のお供の機材をおさらいすると、レンズはまず2本。フルサイズ対応標準ズーム「 AT-X 24-70 F2.8 PRO FX 」と「 AT-X 14-20 F2 PRO DX 」。そしてカメラはキヤノン EOS 7D MarkII 、な装備。い前回でもお話ししたが、機材を出来るだけ厳選して、動きやすくした。夏だし坂だし汗っかきだし。少しでも軽くしたいのが第一の理由。重い機材に振り回されては、体力の消耗がハンパ無い。後々お話しするが、開放値F2やF2.8などの明るいレンズに、今回は随分助けられた。やはり開放値の明るさによる、シャッタースピードの恩恵だ。こういう時は “ F値の明るいレンズはいい! ” と言わざるを得ない。これらを aosta の OEJ メッセンジャーに入れて松代をブラブラした。
松代へは、上田から直接電車で向かうことが出来ない。数年前に、松代駅を通る線は廃線になっており、どこぞからバスで向かうのだ。私は屋代駅で下車し、そこからバスで向かうことにした。
松代駅内の観光案内所で情報を得て、早速ぶらつく。
急ぐ理由は二つある。まずは天候。それでなくても雲が厚くて暗かったのだが、夕方から大雨の予報が出ていたのだ。これは避けたい。
それともう一つ。それは…
『 時間! 』。
つまり、この旅は高速バスが基本。高速バスの乗車時間があり、その時刻までに、出発する上田に戻る必要があったのだ!
まあ、考えてみてば当たり前のことなのですが(笑)
もっとも、決まった時刻まで目いっぱい撮ってみよう!という意気込みは、撮影そのものを濃密にさせるので、良い面もありますね、はい。
街並みは中心部こそ観光っぽく整備されたところもあるが、ほとんどが生活に密着していて、タイムスリップ感が半端ない。
いたるところにカメラを向けたくなるが、そこで生活されているんだなと思うと、レンズを向けることに慎重になる。
ここでちょっと佐久間象山について。
佐久間象山は松代藩出身の儒学者。幕末当時、最高の頭脳の持ち主と言っても過言ではないだろう(ハギワラ談)。兵学者で思想家。
勝海舟や吉田松陰、坂本龍馬などが、象山の私塾『五月塾』の門弟。
のちに将軍となる一橋慶喜の招聘で上洛し、公武一体論や開国論を説くが、当時の京都は尊皇攘夷派の志士が多く潜伏しており、標的にされる。1864年7月11日、三条木屋町にて暗殺される。
まあ、倒幕とその後の日本に、多大な影響を与えた人物だった、ということですね。
ぶらぶら歩くと、いい感じの神社やらお寺やら。
ええ、わかっていますよ!神社仏閣ばかりじゃ、画のカラー的に地味になっちゃうってことでしょ?でも私は気にしませんよ。だって、撮りたいもん!
ちなみに象山地下壕とは…
正確には『松代大本営地下壕』。第二次世界大戦末期、軍部が本土決戦の最終拠点として、極秘に大本営・政府各省庁をこの地に移す計画がなされ、突貫工事の元に掘られた地下壕。
舞鶴山を中心に、皆神山、象山に碁盤の目状に掘られ、延長は約10キロにも及ぶ。貴重な戦争遺構として、現在、一部公開中。
再びぶらぶらを開始。
象山に行くために市街から少々離れたため、来た時とは違う道で、松代城を目指す。
この時すでに、いつでも雨が降ってもおかしくない状態だった…。
この抜け殻がとまっていたところは、江戸時代の大きな扉でございました。
※一般のお宅の、現役の扉でしたので、あえて公開いたしません。
公開しているお宅もあるので、チョイチョイ立ち寄る。
こうした古の雰囲気を色濃く残すところとはいえ、そこには生活がある。
私も城下町、お堀の目の前に実家があったが、ここまでの風情があったわけではなく、こうした光景が羨ましい。
松代城跡に到着。
現在の松代城は、2004年に復元されたもので、明治時代の廃城に伴い建物が解体されてから、長いこと石垣だけだったそう。でもこうした門や木橋などが整備されると、もっと愛着も出ると思うし、私は賛成。
地元・静岡の駿府城も、早く天守閣が復元されないかなあ。生きている間に見られるといいなあ。
この松代城跡、実は目の前が先ほどの廃線になった駅の目の前。こんな素晴らしい立地にありながら、廃線は返す返す残念!長野駅や上田駅と直結していれば面白かっただろうになあ。しなの鉄道さん、繋いでやって!
すぐそばにある真田邸へ。
真田松代藩九代藩主・幸教が、母の住まいにと1864年に築いた城外御殿。
そもそも大名の妻子は江戸住まいが義務だったが、のちに緩和され、地元にも屋敷を建設する必要が生まれるのだが、この屋敷もそうした経緯があったそう。明治以降は真田氏の私邸として使われたそうだが、1966年に代々の家宝とともに松代町に譲渡され、現在は一般公開しているそうだ。
藩校・文武学校へ。
1855年開校。創建時の姿をそのまま見ることができ、劍術場や槍術場などは今でも使われている。
なんとも写真の構図の宝庫!ここではいわゆる教科書的な構図が全て撮影できちゃうのではないか!と思えるくらい、カメラを構えるたびに感じてしまう。写真屋っぽさ丸出しって感じだけどね。
まるでセットのよう。実際に映画や時代劇で使われるそうだ。私もここで撮影してみたいなあ。ここは面白い!
さて、そろそろ時間が近づいてきたので、松代駅に向かう。
と言っても目の前だが。
廃線となっても、町のくらしの中心になっていることは変わらない。
集まり、待ち、そして目的地に向かう。または帰ってくる。
ただ、「 電車が通っていない 」だけだ。
バスに乗った途端、雨が降り出した。
なんともナイスなタイミング!時間ギリギリまで撮影できたことに感謝。
屋代駅にて、あんずどら焼きなるものを購入。
ということで、今回はここまで。
小諸も松代も実にいい街だったなあ。でも、モデルさんが欲しい!!
次回はまだどこに行こうか決めていないが、モデルさんを募集することにしよう。
作品は差し上げますので、ご協力いただけるモデルさん(地元の方希望)を募集することにします。
詳細、早く出さなくてはね。
■ 制作・著作 ■
スタジオグラフィックス
萩原 和幸