若子jetのスナップフォトコラム☆
第10回 日本橋人形町 編
今回で、連載10回目となる「若子jetのスナップフォトコラム☆」。 筆者なりの視点で写し出された街にフィーチャーし、その楽しさをお伝えできたらと思います。今回は、歴史の長い「日本橋人形町」の魅力について、語ろうと思います。
日本橋人形町は、オフィス街という印象があるが、歴史を知り、一歩路地に入ると下町のよさがとても感じられる地域だ。少し前には、ドラマ「新参者」の舞台となったことで、街歩きの楽しさもいっそう増した感がある。
日本橋人形町は、もともと「お江戸の台所」と言われる街並み。関東大震災で築地にうつるまでの300年以上、魚河岸があった地であり、多くの人たちで賑わっていたことから、そう呼ばれたようだ。また、徳川家康が江戸に移り、のちに江戸幕府を開くと、多くの大名のお屋敷が建設され、街の活性化へとつながった。
人形芝居などの制作、修理、人形を実際に操る人形師らの多くが住んでいたこともあり、人形町という名前が付けられた。人形浄瑠璃小屋の結城座なども有名である。江戸時代初期は、幕府お墨付きの遊郭・吉原がしばらくの間、賑わっていたが、1657年大火で遊郭のほとんどは焼失し、吉原は浅草の山谷(現在の台東区日本堤界隈)へと移った。「大門通り」は、この吉原の大門に通じる道ということで名付けられ、今でも遊廓跡としての名残を見つけることができる。
江戸時代に色々な変化があった日本橋人形町も、明治時代には花街として、再び、芝居や歌舞伎、芸術の街として、栄え続けた。歌舞伎も始まり、明治座(当時は本劇場、喜昇座として)も始まった。また、 日本橋人形町といえば、明治初期に移転してきた水天宮も、安産の神さまとして有名だ。「日本橋七福神巡り」のうちのひとつにも数えられる。
地下鉄・人形町駅の出口を出れば、高さ8メートルにもなる「人形町からくり櫓」が両サイドの通りを飾っている。さらに少し歩けば、有名な甘酒屋が栄えていたことより名前がついた「甘酒横丁」は、浜町にある「明治座」につづく道。明治座や水天宮に向かう方々が多く通る道で、老舗和菓子屋さんや、歴史のある美味しいお店が軒を連ねる。また、季節のイベント「せともの市」や「べったら市」も有名で、下町の賑わいをそこかしこに見ることができる、そんな「お江戸の台所」を散策してみませんか?