伊豆の沖には黒潮が流れていることはご存じだろう。この黒潮の流れる位置は季節や日によって大きく変わる。
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神子元島は下田沖に浮かぶ無人島。黒潮が近づくと、回遊魚や大型魚が群れで見られる稀少なダイビング・ポイント。初心者は潜れない。 |
黒潮の流れが伊豆半島に近づけば、伊豆半島沖にある神子元島は回遊魚や鮫が群がり、黒潮ブルーが拡がる絶好のポイントになる。しかし、黒潮が離れたり、波やうねりが出たり、湖の底のように暗く濁った時は、つらく苦しいダイビングになる。僕が見た神子元島はいつもそんな、つらく冷たい海だった。
ちなみに神子元島を潜るには、ある程度の経験を積んだダイバーに限る、という規定が設けられている。安全のためだ。
今年の夏の神子元は嘘のように穏やかだった。
熱い思いと自信を取り戻すためのダイビング…目標のあるダイビングに久しぶりにワクワクした。朝3時に起きて、東名高速へ。小田原、熱海を経て、下田に入り神子元ダイビングサービスへと到着。胸が高鳴った。ブルーに拡がる海が迎えてくれた。夢の入り口・・愛用の「富士フイルムFinePix F30」を握りしめて、ガイドの指示に従い、ほかのダイバーとともに、祈るような気持ちで蒼い海にエントリーした。長い間、引っかかっていた気持ちにケリをつけたい、子供達にいい知らせをしたい・・そんな気持ちだった。
しかし、1日目、やはりハンマーへッドは現れなかった。タカベやイサキの巨大な群れ(何千尾もいる)は見事で、神子元の魅力が存分に見られたが、目標はまたもや達成できなかった。寄港してうなだれながら器材を片付けている僕を見て、海水浴場から戻ってきた息子や娘が「明日は見られるといいね」と声をかけてくれた。
たかが鮫・・それでもささやかな目標。
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魚影が濃いのがここの特長。視界一面にタカベやイサキが拡がる光景も珍しくない。暗さに強い愛用のコンパクトカメラ「富士フイルムFinePix F30」も頑張っているが、この深さで濁りが出ると厳しい。 |
翌日の1本目。同じ船に乗っているダイバーの何人かが船酔いや恐怖感、体調不良を訴えていた。僕たちには穏やかに見えても、経験の浅いダイバーにとって、この海は抵抗があるようだ。ダイブすると昨日より少し濁りが出ていた。
タカベの大群の向こうから巨大なメジロザメが次々と視界に飛び込んでくる。さすが神子元だ。しかし、濁りは強くなる一方で、ブルーだった海は緑色…黒ずんで見えてきた。
そして2本目。更に濁りはすすみ、視界は悪くなった。メジロザメの影が遠くで横切る程度ではっきりと寄ってこない・・トビエイやウミガメ、モロコ(クエ)、巨大な伊勢エビ、ワラサ、カンパチ、ツムブリ…ほかで見たとしたら大喜びの生き物が次々と現れる…でも、ここでは脇役だ。
ガイドが中層の流れに身を任せ、潮に流されるドリフトダイビングにスタイルを変えた。しかし、時間だけが過ぎ、30分のダイブは終わりを迎えた。ダイビング時間はわずか30分。
ダイバーの体には水圧によって悪い窒素がたまる。その窒素を正常に抜くために、水深5mの位置で5分間じっと待機する。安全停止と呼ばれる時間になった。ガイドがフロートを水面にあげ、海面で待機するボートに自分たちの位置を知らせる。流されたチーム一行を拾ってもらうためだ。またハンマーヘッドには会えなかったとチーム全員に落胆の表情がマスク(水中メガネ)越しにも見えた。と、そのとき、フロートから数m下に垂らしたオモリに複数のサメが寄ってきた。オモリは太陽の光を反射して中層でキラリと光る。そのたびに、メジロザメがオモリにガツンとアタックしてくる。よく見るとチームの下、数mのところにいつの間にかメジロザメが数匹群れていた。
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この後、こちら側に向きを変え、悠然と横をかすめていったハンマーヘッド・シャーク。すれ違うときにシャッターを切る心の余裕はなかった。 |
遊泳客なら震え上がって逃げるところだが、ダイバーはちょっとオカしい。わざわざ鮫の近くに寄って行くのだ。安全停止していたのに再び深度15mまで急ぎ潜行してメジロザメを追う。メジロザメに混ざって、奇妙な頭のカタチをしたサメが突然、姿を現した。ハンマーヘッド・シャークだ。ついに出た。
追いかけると反転してこちらを向き、ゆっくりと数mのところを横切っていった。もっと追いたい、と思った瞬間、レギュレータ(※2)からエアが来づらくなった。あぁ、あと10数回も吸えばエアは来なくなるな…ハンマーの後ろ姿を見送りながら思った。水面で久しぶりにエア切れを起こした。それほど夢中でメジロザメの群れを追いかけていたのか…あと5分あれば、ハンマーヘッドをもっと追いかけられたのに。
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家族が記念に僕にくれた孫の手。「ハンマー記念日・神子元 おめでとう!!」と書いてある。 |
ボートの上でケータイを出すと、下田の水族館に行っているはずの家族にメールを打った。ついにハンマーヘッドを見た。10年、いや15年来の思いがようやく叶った。息子達は水族館の後、寝姿山の山頂にいたようで、"山頂から遠く見える神子元島をバックにみんなで万歳しているムービー"がすぐに返信で届いた。しかも即席で記念品を作り、プレゼントしてくれた。おみやげの孫の手。そこには「ハンマー記念日 おめでとう」とサインペンで書いてあった。
実は、この日は3本潜った。
3本目はまるで東京湾のような濁りが出て、ハンマーヘッドどころかサカナさえ見えないほど。でも、出会い頭に一匹だけ少し大きな妙なものに出会った。家族には内緒でこっそりとログブックに書いたのだが、それを見た息子達が疑いの目で僕をみて訊いた。
「お父さん、3本目…マンタ(※3)見たの?」
僕は笑ってうなづいた。ガイドも笑ってうなづいた。
オヤジの夏。
今年は忘れられない夏休みになった。
※注釈
1. シンベイザメ…鯨くらいでっかいサメ。プランクトンやオキアミ(エビ)等しか食べないので安全。沖縄の水族館では人気者。今年、海の中で初めて間近に見た。
2.. レギュレータ…タンクから送られてくるエアを吸うための呼吸装置。口にくわえる。
3.
マンタ…オニイトマキエイ。畳八畳くらいにも成長する巨大なエイ。沖縄の水族館では人気者。海では石垣島周辺で何度か見たことがあるが、珍しい。特に伊豆ではなかなか見られない。
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