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フォトグラファーに聞け!

第3回 山田 愼二 / Shinji Yamada

    〜 ラーメンから裸まで <前編>

2012/12/21
 
● 山田愼二インタビュー
フォトグラファー  1959 年、新潟県生まれ。
公式サイト http://www.yamadashinji.com/
▼ Topix  
人物撮影においては、被写体の内面に迫る作品と評価の高い山田愼二氏。だが、第一線で活躍するフォトグラファーには珍しく、自身のキャッチフレーズを 「 ラーメンから裸まで 」 と公言している氏は、フレーズどおりに様々な被写体に取り組んでいる。そんな山田氏の 「 写真のコダワリ 」 に今回は迫ってみようと思う。

山田愼二の
「 ラーメンから裸まで <後編> 」 は
コチラから
 
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編集部 写真を始めるきっかけは何だったんですか?
山田 山田愼二兄とアラーキー ( 荒木経惟 ) の影響だね。僕の兄は大学出た後に東京綜合写真専門学校に行って写真の勉強していて、卒論のテーマにアラーキーを選んでいたことから、兄の部屋にはアラーキーの写真集が何十冊も置いてあった。その当時、新潟の高校生だった僕がたまたま上京して兄のアパートに泊まらせてもらい、暇に飽かせていくつかの写真集を眺めてたら、その中にあの 「 センチメンタルな旅 」 があって、衝撃を受けたんだ。
 
  センチメンタルな旅
1971 年に限定で自費出版された荒木経惟氏による写真集。荒木氏の写真の大きなテーマでもあった妻、陽子氏を被写体にし、当時タブー視されがちだった性行為描写に敢えて真正面から立ち向かい表現した氏の処女写真集。
編集部 「 センチメンタルな旅 」 は、当時の高校生にはいろいろな意味で刺激的だったでしょうね
山田 山田愼二「 センチメンタルな旅 」 で受けた衝撃は、性的な刺激って言うよりも……なんて言ったらいいんだろ………、自分にとって一番身近な人って簡単に撮れるようで実はとっても難しくて、それはいつでも撮れるからって慢心があるからかもしれないけど、でもあれだけ真正面から、ドキュメンタリー的に、赤裸々に、ひとりの女性を撮り続ける姿勢と、荒木さんの写真家宣言に圧倒されちゃったんだな。そのときに 「 写真やろう 」 って思った。
編集部 それで東京造形大学のデザイン学科で映像を専攻され、卒業後に写真家平地勲氏のところへと?
山田 山田愼二平地さんのところに行く前にコマーシャルフォトの大御所、高崎勝二さんのアシスタント募集に受かったんだけど、まずは高崎さんのお弟子さんについてからでないと、高崎さんにつけないってことがわかって……、それでも1週間はお弟子さんのところに行ってたんだけど、僕が通っていた大学の講師でもあった平地さんが 「 うちに来い 」 って誘ってくれたことをきっかけに、平地さんのところへ師事したんだ。平地師匠はもともとドキュメンタリーで人物を撮ってた人で、写真集 「 温泉芸者 」 が、海外で評価されてたんだけど、僕が師事したときは、篠山紀信さんに頼まれて 「 写楽 」 でヌードを撮り始めてた。平地さんは独特な光の使い方をする人でね、篠山さんの写真とは違う作風だったな。
編集部 平地さんの写真を拝見すると、女性の肌の質感がリアルですね。それと肌の赤みを強調している写真が多いように思えましたが……
山田 山田愼二それはねぇ、師匠は昼は編集者とゴルフしたり泳いだりしてて、夕方からしか撮らなかったから赤かぶりしてんの (笑)。まれに昼間に撮ったりすることもあって、そんなときは 「 珍しいですね、赤くなくていいんですか? 」 みたいなことを編集者から言われてた (笑)。肌の質感に関しては、平地さんは女性ポートレートだからって露出をオーバー目に撮る人じゃなくて、特にヌードの場合は色気がなくなるって言って、白く飛ばすことはしなかったよ。
編集部 平地さんのところでスタジオライティングなどを勉強されたんですか?
山田 山田愼二平地さんはスタジオを持っていなかったし、大型ストロボを使わない人だったから、ロケやスタジオでの特殊なライティングは独学で覚えた。ジェネレータを使ったストロボから、バルカやトーマス、プロシリーズの照明器具に至るまでね。でも平地さん独自のライティングは現場で叩き込まれたね。たとえば平地さんは料亭とか和室で 「 ナショピー 」 を1灯だけ使った傘バンでの超シンプルなポートレートをよく撮ったんだけど、スタンドを使わない人だったから、「 山田、ナショピー持ってそこに立て。次はここ。そしてあそこ。いいか、距離だけよく考えろ 」 って指示されるわけ。僕はナショピーを持って立ってるだけだったけど、平地さんの位置、被写体の位置、そして僕の位置を覚えることで、人物への光の当て方の勉強になったね。
 
  ナショピー
ナショナル ( 現パナソニック ) 製の外光式オートストロボの愛称。ナショナル PE-シリーズで 「 ナショピー 」。TTL 機能はないが、カメラの絞り値をストロボに設定しさえすれば、被写体までの距離を計測して発光量を自動調節する。古くから商業写真家の間で親しまれてきたが、2010 年に生産中止が発表されている。
  傘バン
内側が白いライティング用アンブレラにバウンス発光させて撮る方法をこう呼ぶ。

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  平地氏のもとに師事した山田氏は、3年後の 25 歳で独立。その記念として週刊プレイボーイのグラビアページの仕事をもらったのが最初の仕事だ。荒木氏に影響されて入った写真業界だけに、そのままポートレートに邁進するのかと想像していたが、その後の山田氏の展開は多岐に渡っていくことになる。一般的に、プロとして独立したフォトグラファーは被写体を徐々に限定していくものだ。そうでなければ仕事を依頼する側も出しにくくなるし、本人の技術も向上しにくくなると考えられるからだ。しかし山田氏の場合は違った……
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編集部 山田さんの肩書きは 「 カメラマン 」 とあるだけですが、実際には何を得意とされているんでしょう
山田 山田愼二僕はねぇ、撮りたくないモノは拒否するけど、そうでなければ何にでも挑むよ。何でも撮れるよ。実際に撮ってきたし。週刊現代の仕事を請けていたときも、ヌードと料理のページの、まったく異なる2つの仕事を何年もやったよ。だから、自身のキャッチフレーズは 「 ラーメンから裸まで 」 にしてる。(笑) 興味があるんだよ。新しい被写体の依頼があって、特に初めての被写体だったりしたときは、僕ならそれをどうやって撮るかって考えるのが好きなんだ。撮り方に悩みもするし、苦労することもあるけど、難しければ難しいほど、それに 「 挑む 」 のが面白い。そんなときの自分の行動を、自分自身で客観的に眺めてるのが好きだね。
編集部 では、質問を変えます。得意というよりも好きな被写体はなんですか?
山田 山田愼二人間だね。ある意味では他の被写体のときと同じだけど、被写体の人物と向き合ったときの自分の反応が知りたい。ブツ撮とは違って感情を持つ人間が被写体なわけだから、こっちの言動次第で感情に変化が生まれる。その変化に自分がまたどう対応して、自分がどう被写体に 「 挑む 」 のかが知りたいんだ。だから、色々なタイプの人をこれからも撮りたいね。
編集部 それは言い方を変えると、ご自身のことが……
山田 山田愼二うん。被写体に抱く興味以上に、自分自身に興味があるんだろうね。フォトグラファーが 10 人いれば 10 人の撮り方があると思うけど、それらの撮り方とはまた違った撮り方を探す、自分の被写体への挑み方に興味がある。それは、言い換えれば自分探しでもあるからで、自分を知るための作業だと思っているよ。
編集部 これまで、どんな自分が探せましたか?
山田 山田愼二人物撮影は他の撮影よりもスケジュールが厳しい。忙しい芸能人なんかだと、後が詰まっているからメイク室で撮ってくださいとか言われたり、取材が終わって残り5分で3パターン撮らなければいけないとか、そういう厳しい条件下で結果を出さなければならない、なんてときに悩みながらも結局やりきっている自分がいたよ。だから次に進めるんだと思う。
編集部 そう伺うと、山田さんは仕事が速いんですね
山田 山田愼二いや、速くはないな。僕の撮影スタイルは 「 ねちっこい 」 から(笑)。 時間がなければないで、その範囲でできるってだけでね。だからって、時間がありすぎるのも問題でね。繰り返すけど 「 ねちっこい 」 から、時間があると悩み過ぎちゃう。時間だけじゃなくて、撮影条件が緩すぎるのも困る。でかいハウススタジオなんかだと、とる場所が多すぎて悩んじゃうんだ。だからここでしか撮れません、って条件が厳しい方がモチベーションが上がるね。
編集部 撮影条件が厳しいときの対処方法……といいますか、その条件を乗り切れると思える根拠、自信は何に由来するんですか?
山田 山田愼二う〜ん、結論から言うと負けず嫌いだからかな? うん、できませんと言うのが嫌い。できませんとは絶対に言わないって決めてやってきたから。それと、人とは違ったことをやるんだと決めてここまできたし、でも、スタジオで教えられた経験がないから、多くのことを独学で勉強してきたわけで、そりゃ遠回りもしたけど、なんとか乗り越えてきた経験がそうさせているんだろうね。
編集部 かなりの意地っ張りなんですね(笑) この取材の前に、知人の編集者から 「 山田さんは作品のためなら喧嘩もする人だ 」 と聞かされてましたが、どうやら本当みたいですね(笑)
山田 山田愼二今、台湾にいる K さんだね、そんなこと言うのは(笑)。いや、彼も僕に負けず劣らず意地っ張りだし頑固だよ(笑)。K さんと出会ったのは今から 20 年以上前で、その時は若かったから、出版社とはよく喧嘩もした。あるとき自分が関与した仕事のゲラをみたら、自分の写真が違う写真に差し替えられていて、頭にきて編集部に怒鳴り込んだ。一歩も譲らず朝まで編集部に籠城してると、編集長に 「 お前らいい加減にしろ 」 って怒鳴られたり(笑)。それもあくまで若いときの話で、今は丸くなったと思うよ。人からは別人のようだと言われるし、自分でもそう思う。だからって、若い頃に比べて作品創りを追求しなくなったというわけじゃなくて、追求する表面上のスタイルが変わっただけ。
編集部 K さんには、山田さんに怒鳴られたら、それも取材の一部として使うよって答えてたのですが、もし本当に怒鳴られたらどうしようと思って来ました
山田 そんなことないない(笑)

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  初対面の印象は、口数少なく気難しそうな職人気質のフォトグラファーに見えた山田氏だったが、取材が進むに連れて印象は、温和だがコダワリのあるプロフェッショナルに変貌していく。好きな被写体があるにも関わらず、自身のキャッチフレーズを躊躇なく 「 ラーメンから裸まで 」 と言い切る山田氏。そんな山田氏が、生き馬の目を抜く写真業界の第一線を走り抜いてきた背景には、まだ秘密がありそうだ。次回は、山田氏が好きだという人物撮影における裏話を紹介しつつ、その秘密に迫っていきたいと思う。
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山田愼二の
「 ラーメンから裸まで <後編> 」 は
コチラから



 
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初出:2012/12/21 このページのトップへ
 
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